ひばりヶ丘団地&ひばりヶ丘パークヒルズ
ひばりヶ丘団地は昭和34年に当時の北多摩郡保谷町・田無町(両町は現:西東京市)・久留米町(現:東久留米市)の3町にまたがる区域に立地した中島航空金属田無製造所(中島飛行機の関連会社、一部は現住友重機械工業田無製造所)の跡地に造成された当時、日本住宅公団最大の公団住宅でした。敷地内には野球場・テニスコート・市役所出張所・緑地公園・名店街・学校・スーパーマーケットなどがあり、できた当時は全国の団地の街づくりのモデルと言われていました。
しかし、老朽化が進み、2008年頃から「ひばりヶ丘パークヒルズ」としてUR都市機構による再生・立て替えが進み、現在はほぼ生まれ変わっています。一部、まだ西東京市側にかつての旧ひばりヶ丘団地の建物が一部残っていますが、すでに立て替えを待つだけの状態となっています。
かつてのひばりヶ丘団地にはY字型のスターハウスが4棟あり、ポイントハウスとして使われていましたが、貴重な建造物として、その中のひとつである53号棟は保存が決まっており、現在その1階部分は「ひばりが丘パークヒルズ管理サービス事務所」として利用されています。
また、高層化されたため、広大であった当時のひばりヶ丘団地の一部の区域は「ひばヶ丘団地再生事業区域」となっており、民間企業による新築一戸建て住宅が続々と建設されています。
本校の近隣の風景はこのひばヶ丘団地再生事業によって、ここ10年で大きく変貌し、その様相が変わりました。近代的な環境に配慮した大規模住宅として、新たな歴史を刻み始めています。